9・11から25年――世界貿易センター79階に伊予銀行があった
2001年9月11日、世界が変わった

2001年9月11日。
アメリカ・ニューヨークの世界貿易センター(WTC)に、ハイジャックされた旅客機が相次いで突入しました。
午前8時46分、アメリカン航空11便が北棟(1 WTC)に突入。
続いて午前9時03分、ユナイテッド航空175便が南棟(2 WTC)に突入しました。
やがて巨大な二つの超高層ビルは崩壊しました。
あの日から、2026年9月11日で25年です。
米国同時多発テロでは、日本人24人を含む約3,000人が犠牲になりました。日本政府の資料でも、邦人24人が死亡した事件として記録されています。
25年も前の出来事ですが、テレビで飛行機がビルに突入する映像を見た時の衝撃を、今でも覚えている人は多いのではないでしょうか。
私にとっても、この事件は遠いアメリカだけの出来事とは思えません。
なぜなら、私が長年勤めていた伊予銀行も、かつてこの世界貿易センターにニューヨーク支店を構えていたからです。
本当に伊予銀行は世界貿易センターにあったのか
改めて資料を調べてみました。
すると、これは事実でした。
伊予銀行の公式な「営業店小史」には、ニューヨーク支店について、所在地が次のように記録されています。
One World Trade Center, Suite 7923
New York, N.Y. 10048, U.S.A.
つまり、
世界貿易センター北棟(1 WTC)の79階
です。
伊予銀行の資料には、
「当店は、ロウアー・マンハッタンの西側にあるニューヨークの最高層ビル『世界貿易センター』(110階建て)の79階にあり」
と記録されています。
しかも79階の窓からは、自由の女神像を眼下に見ることができたそうです。
ウォール街、ニューヨーク証券取引所、連邦準備銀行なども近く、まさに世界金融の中心でした。
地方銀行である伊予銀行が、その中心地に海外支店を置いていたのです。
伊予銀行ニューヨーク支店は1989年に開設
伊予銀行は1986年7月1日、ニューヨークの45 Broadwayに駐在員事務所を開設しました。
その後、1989年4月26日に支店へ昇格。
その際に移転したのが、
世界貿易センター北棟79階
でした。
伊予銀行にとって最初の海外支店でした。
私も銀行員として働いていた時代です。
当時、日本はバブル経済の絶頂期。
日本の金融機関や企業が次々と海外へ進出し、ニューヨークやロンドンなど世界の金融市場へ拠点を広げていました。
伊予銀行のニューヨーク支店も、そうした時代を象徴する存在だったのではないでしょうか。
ところが、9・11当日には伊予銀行はWTCから撤退していた
今回調べてみて、私自身の記憶と少し違っていたことが分かりました。
2001年9月11日のテロ発生直後、首相官邸が発表した「世界貿易センタービルに入居していた日系企業」の一覧には、確かに伊予銀行の名前が入っていました。
そのため当初は、伊予銀行もWTCに入居していたと報道されました。
しかし、その後の朝日新聞の確認によって、
伊予銀行はすでに世界貿易センターから撤退していた
ことが判明しています。
国立国会図書館のレファレンス協同データベースにも、2001年9月12日付朝日新聞の記事を基に、
「すでに撤退していることを朝日新聞が確認した企業」として、伊予銀行、百五銀行、安田火災海上保険などが記録されています。
したがって、
「9・11当日、伊予銀行の行員が79階から避難して全員助かった」
ということではありません。
正確には、
「伊予銀行はかつて北棟79階にニューヨーク支店を置いていたが、9・11が起きた時点ではすでにWTCから撤退していた」
ということになります。
これは大切な違いです。
伊予銀行が使っていた79階には、その後、日興証券も
さらに興味深い記録があります。
WTCのテナント資料を見ると、伊予銀行は北棟79階のSuite 7923を使用していました。
そして後のテナント記録では、同じSuite 7923に日興証券(Nikko Securities)の名前が記録されています。
25年前、あのテレビ画面で崩れ落ちていった北棟。
その79階に、かつて伊予銀行のニューヨーク支店があった。
そう考えると、愛媛に住む私たちにとっても、9・11は決して遠い世界だけの話ではなかったことを実感します。
多くの日本の金融機関がWTCに入っていた
当時の世界貿易センターには、日本の金融機関が数多く入居していました。
首相官邸が当初把握していた日系企業には、富士銀行、第一勧業銀行、あさひ銀行、中央三井信託銀行、横浜銀行、山陰合同銀行、中国銀行、西日本銀行、静岡銀行、日興証券、岡三証券など、多数の金融機関が含まれていました。
地方銀行も少なくありません。
これは当時の日本の銀行が、ニューヨークという世界金融の中心に積極的に進出していた時代を物語っています。
富士銀行では大きな犠牲が出た
特に深刻な被害を受けたのが、現在のみずほ銀行につながる富士銀行でした。
富士銀行の当時の幹部が国会で証言しています。
富士銀行のニューヨーク拠点では約700人が勤務し、そのうち日本からの派遣行員は117人。
WTCの北棟と南棟の双方にオフィスがありました。
北棟では第一勧業銀行の約150人が勤務していましたが、全員が避難できました。
一方、南棟には富士銀行のメーンオフィスがあり、多数の行員が勤務していました。
富士銀行側は国会で、富士銀行の日本からの派遣行員12人、現地採用行員6人、さらに日本興業銀行の現地幹部1人の計19人が、みずほフィナンシャルグループ関係者として行方不明になったと説明しています。
25年後の2026年にも、当時富士銀行に勤めていた日本人犠牲者の遺族の思いが報道されています。
地方銀行にも犠牲者が出た
犠牲になったのは大手銀行の行員だけではありません。
西日本銀行(現在の西日本シティ銀行)では、テロのわずか数日前にニューヨーク支店を閉鎖していました。
しかし、残務整理のため職員が現地に残っていました。
事件直後には職員との連絡が取れず、その後、西日本銀行勤務の穴井一弘さん、中村匠也さんが邦人犠牲者として政府資料に記録されています。
中央三井信託銀行の平井克征さんも犠牲になりました。
「支店を閉鎖したから安全だった」
というわけではなかったのです。
ほんの数日の違いが、人の運命を分けました。
日本人24人が犠牲になった
9・11では最終的に日本人24人が犠牲となりました。
日本政府は後に、
遺体が確認された人が13人、
米国の裁判所によって死亡宣告された人が11人、
合計24人
と説明しています。
数字だけを見ると「24人」です。
しかし、その一人一人に家族がいて、仕事があり、人生がありました。
朝、「行ってきます」と家を出た人が、その日の夜には帰ってこなかった。
9・11という出来事を考える時、私たちはこのことを忘れてはいけないと思います。
私は当時46歳だった
2001年9月11日。
私は46歳でした。
まだ銀行員として働いていた時代です。
インターネットも現在ほど普及しておらず、スマートフォンもありません。
ニュースといえば、テレビや新聞が中心でした。
テレビ画面に映し出された世界貿易センター。
そこへ旅客機が突入し、巨大なビルが崩れていく。
映画ではありません。
現実に起きていることでした。
そして、そのビルの79階に、少し前まで自分が勤めていた伊予銀行のニューヨーク支店があった。
25年経った今、改めて調べてみると、当時とはまた違った重みを感じます。
25年間で世界は安全になったのだろうか
9・11を境に世界は大きく変わりました。
空港の保安検査は厳しくなり、航空機への持ち込み規制も強化されました。
国際テロへの監視も格段に強化されました。
しかし25年後の世界を見渡してみると、戦争やテロ、地域紛争がなくなったわけではありません。
むしろ私たちは、
「平和や安全は、そこにあって当然のものではない」
ということを9・11から学んだのではないでしょうか。
70代になった今、9・11をどう見るか
25年前、私は46歳。
そして今は70代になりました。
25年という時間は長いようで、振り返ってみれば驚くほど短く感じます。
2001年に生まれた人たちも、すでに25歳です。
若い世代にとって9・11は「歴史上の出来事」になりつつあります。
しかし私たちの世代にとっては違います。
テレビの前で、
「いったい何が起きているんだ」
と画面を見つめていた記憶があります。
だからこそ、あの日のことを次の世代に伝えていくことにも意味があるのではないでしょうか。
9・11から25年――今日、改めて考えたいこと
世界貿易センター北棟79階。
そこには、かつて伊予銀行ニューヨーク支店がありました。
伊予銀行は幸いにも9・11以前にWTCから撤退していました。
しかし同じビルで働いていた多くの人たちは、そうではありませんでした。
日本人24人を含む約3,000人が犠牲になりました。
もし伊予銀行の撤退時期が違っていたら――。
そう考えると、私にとって9・11はニューヨークの遠い場所で起きた事件ではなくなります。
人生には、自分では予想することのできない出来事があります。
だからこそ、
今日一日を普通に過ごせること。
家族や友人と話せること。
健康で外を歩けること。
そうした何気ない日常が、本当はとても大切なのかもしれません。
あれから25年。
9・11を単なる「昔のニュース」にするのではなく、平和とは何か、命とは何か、そして今ある日常の大切さを、もう一度考える日にしたいと思います。
※ 最後に、アメリカを襲った「世界貿易センタービル」の出来事をご覧ください。→ こちらです。
