3年前、私は東南アジア10ヶ国をクルーズ船で旅していました。初めての外国旅行と長期船旅でした。

これは、東南アジア諸国を船旅した旅行記を書いたもので、東南アジアの違った見方、ピースボートの船旅など船の旅を考えている方への参考となればと思い書いたものです。

興味のある方は、ずっと読み進んで下さい。

その前に、私が東南アジアを廻って3年経ち、現在、気になっていることを先に書いて置きます。

3年経った今、ミャンマーでは、国軍のクーデター勃発により、民主主義を求めるデモの参加者への軍・警察による弾圧は厳しさを増しています。ミャンマーから日本への留学生は、「もはや国内では解決できない問題となっている」と訴えています。解決には、国際社会の助けが必要なのに、その動きがあまりも弱い。国連安保理でも制裁決議が通っていない。解決の糸口が見えてこない。

市民と少数民族の団結による軍制圧が解決の鍵であるように思えます。

私が一つ残念に思っているのが、2007年の民主化運動取材中、長井健司記者が国軍に射殺された。この事件は、同郷人として解決されてなく、とても残念な事件でした。

次の動画でミャンマーの現状を確認し応援したい。

ASEAN(東南アジア諸国連合)とは、

インドネシア、カンボジア、シンガポール、タイ、フィリピン、ブルネイ、ベトナム、
マレーシア、ミャンマー、ラオスの10ヶ国を言う。

あと、東ティモールが参加を望んでいる国である。

東南アジア諸国、日本が今後、友好を深め共に発展していかなければならない国々です。

でも、私も含めてあまり東南アジア諸国を詳しく知らないのが現状です。

なぜ、知らないのか。第二次世界大戦が大いに関係があるのだが、学校の授業ではあまり教えてもらってません。歴史的経緯をしらない日本人、もっと東南アジア諸国の歴史を知ってほしいと思います。

東南アジア諸国の国ごとの歴史を語ると大変なので、第二次世界大戦後、東南アジア諸国と日本の関係を語っておきます。

第二次世界大戦終結後、日本が東南アジア諸国に向け戦時賠償金を支払っています。また、ODA(政府開発援助)により①無償協力➁有償協力③技術協力を行っています。

そのためか、東南アジア諸国において日本人だと言うと歓迎され手厚くもてなしてくれました。中国人は、あまり評判が良くないようでした。

日本人は、安い労働力を求めて中国に工場を作っていきました。徐々に中国の人件費が上がって行くとチャイナプラスワンが生まれて来ました。選ばれたのがベトナムです。その後、ベトナムからカンボジアそしてミャンマーへと安い労働力を求めてファストファッション産業は発展していきました。

インドネシアは、広い島国である。島の数は、1万3500島。この国に2億5000万人の人々が暮らしている。私は、初めてインドネシアの人口を聞いてびっくりした。

ASEAN(東南アジア諸国連合)は、ベトナム戦争での北爆の途中で出来たもので、アメリカの盾となり、共産主義の防波堤になっていた。当初は、政治色が色濃くあったが現在は、経済的な連盟になっているようです。

今後、ASEANがミャンマー問題をどう解決をはかるか注目したい。ASEANの目標は、EU諸国であり関税なし、国との移動の自由をはかることである。

なぜか日本人は、あまり東南アジア ASEANの国々に対して私も含めて勉強不足であると思います。同じアジア人としてもっと知るべきであると思います。

3年前の船旅でラオスとブルネイの2ヶ国は、訪問していません。新型コロナウイルスが世界的に終息したときには、この2ヶ国を訪問したい。

ASEAN(東南アジア諸国連合)の今後の発展と日本との信頼と協調をはかって行ってほしいと思います。

2021年6月6日 記

 

 

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yaruzou55

2018年1月、地方銀行を63歳にて退職。 後の人生を面白おかしく生きるために、ちょっぴり早いサンデー毎日の生活に突入。 これからの生活で気が付いたこと、感じたことを書き留めるためブログを始めることにしました。(^-^)