昭和40年代(1965年~1974年)は、日本が高度経済成長を迎え、社会や文化が大きく変化した時期です。この時代、日本の経済は急速に発展し、産業構造が変わり、都市部への人口集中が進む一方で、社会の価値観も急速に変わりました。私も11歳となり思春期を迎え20歳になるまで悩みながら未来の自分を模索していた時期でした。特に若者文化やファッション、音楽シーンが一気に華やかさを増し、戦後の復興期から成熟期へと移り変わる様子が見られました。本記事では、昭和40年代の世相、経済状態、若者のファッション、流行歌、そして特筆すべきニュースに焦点を当てて、この時代を振り返ります。

 

経済状態:高度経済成長の頂点と変化の兆し

昭和40年代の日本経済は、戦後から続く高度経済成長がピークに達した時代でした。特に1960年代半ばから70年代前半にかけて、日本は世界的にも注目される経済大国へと成長しました。この時期、製造業を中心に産業が発展し、自動車、家電製品、そして鉄鋼や造船といった重工業が活況を呈しました。1964年の東京オリンピックはその象徴的な出来事であり、オリンピック開催によるインフラ整備が、経済成長をさらに加速させました。

 

また、国民生活も大きく変化しました。家電製品の「三種の神器」として知られるテレビ、冷蔵庫、洗濯機がほぼ全家庭に普及し、続いて「新三種の神器」と称された自動車、カラーテレビ、エアコンが中流家庭の象徴となりました。こうした消費財の普及は、労働者層の生活水準が向上し、生活様式が大きく変わったことを示しています。

一方、1973年には第一次オイルショックが発生し、これまで続いていた急成長に一旦のブレーキがかかりました。石油価格の高騰により、物価が急上昇し、インフレが進行したことにより、企業経営や家計に大きな打撃を与えました。この出来事は、戦後初めての深刻な経済停滞を予感させ、その後の日本の経済政策や産業構造の転換に影響を与えることとなります。

世相:都市化と家族像の変容

昭和40年代は、都市化が一層進行し、地方から大都市圏への人口流入が急増しました。特に東京、大阪、名古屋といった大都市は急速に拡大し、それに伴って交通機関や住宅開発が進みました。通勤電車での長時間移動が日常化し、「サラリーマン文化」が根付いた時代でもあります。サラリーマン層は、定期的な昇給やボーナスを見込んで消費を拡大し、自家用車の購入や住宅ローンを組むことで、郊外に新しい生活圏を形成しました。

家族構成においては、いわゆる「核家族化」が進みました。従来の大家族から夫婦と子供だけの家庭が増え、特に都市部では、狭いアパートや団地で暮らす若い家族が増加しました。これに伴い、家庭内での育児や家事労働の分担、女性の社会進出に関する議論が徐々に注目されるようになりました。

 

また、テレビが普及したことにより、メディアを通じての情報や娯楽が家庭の中心的な存在となりました。特に1960年代後半からはカラーテレビが一般的になり、テレビ番組が家族全員で楽しむ娯楽として定着しました。この影響で、芸能界やスポーツ界のスターが家庭内の話題となり、社会全体に大きな影響を与える存在となりました。

若者ファッション:自由と個性の表現

昭和40年代は、若者文化が急速に多様化し、ファッションにもその変化が現れました。戦後の復興期には控えめだった若者のファッションが、この時代に入ると一気に華やかさを増し、欧米からの影響を強く受けるようになりました。

特に1960年代後半から1970年代初頭にかけて、「ヒッピー」や「ミニスカート」といったスタイルが大流行しました。ミニスカートは、1960年代のイギリス・ロンドン発の「モッズファッション」と共に日本でも注目を集め、ファッション雑誌やテレビ番組で取り上げられ、多くの若い女性が取り入れました。このファッションは、当時の女性の社会進出や自己表現の象徴ともいえるものであり、従来の保守的な価値観を揺さぶるものでした。

また、男性ファッションも変化し、ジーンズやTシャツといったカジュアルなスタイルが広がり、学生服に代わって自由な服装で学校に通う風潮も生まれました。ヒッピー文化の影響で、長髪や派手な柄のシャツ、フレアパンツといったスタイルも流行し、若者たちはファッションを通じて個性を表現しようとしました。

 

流行歌:青春を彩ったヒット曲たち

昭和40年代は、日本の音楽シーンも大きく変化し、様々なジャンルの音楽が流行しました。特に、若者文化の影響を受けたフォークソングやグループサウンズ(GS)がこの時代の音楽シーンを席巻しました。1960年代後半に登場したグループサウンズは、ビートルズなどの欧米のロックバンドから強い影響を受けており、ザ・タイガース、ザ・テンプターズ、ザ・スパイダースといったバンドが人気を博しました。彼らは若者の憧れの的であり、音楽だけでなく、ファッションやライフスタイルにも大きな影響を与えました。

一方で、フォークソングもまた、若者たちの心を捉えました。特に吉田拓郎や井上陽水といったシンガーソングライターが台頭し、彼らの歌は反体制的なメッセージや青春の葛藤を表現したものとして、多くの共感を呼びました。代表的な曲には、吉田拓郎の「結婚しようよ」や、かぐや姫の「神田川」などがあり、これらの歌は当時の若者たちの生活や感情を反映したものとして今でも愛されています。

https://youtu.be/usl_5ncyXqc

特筆すべきニュース:東京オリンピックと万博、そして公害問題

昭和40年代には、国内外で大きなニュースが数多く報じられました。特に象徴的な出来事の一つが、1964年に開催された東京オリンピックです。これはアジア初のオリンピックであり、日本が戦後の復興を遂げた象徴ともされました。オリンピックを機に、東海道新幹線や高速道路といったインフラ整備が進み、日本全体が「東京オリンピック景気」に湧きました。

1970年には大阪で万国博覧会(大阪万博)が開催されました。この万博は「人類の進歩と調和」をテーマに掲げ、当時の最先端技術や文化が一堂に会する場となりました。大阪万博は、国内外からの来場者数が6,400万人を超え、日本が国際的に成長した姿を世界に示す場となりました。

 

一方、この時代には急速な経済成長の裏で、公害問題が深刻化しました。特に、四日市喘息や水俣病など、工業化の弊害として環境汚染による健康被害が大きな社会問題となり、政府や企業は環境対策を迫られました。

当時の国内外のニュースを踏まえ、当時の流行歌を聞きながら動画で振り返ってみましょう。

 

 

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yaruzou55

2018年1月、地方銀行を63歳にて退職。 後の人生を面白おかしく生きるために、ちょっぴり早いサンデー毎日の生活に突入。 これからの生活で気が付いたこと、感じたことを書き留めるためブログを始めることにしました。(^-^)