1954年(昭和29年) 11月、私は誕生しました。
写真で見る限り、可愛らしく人を笑顔に出来る赤ちゃんだったようです。
9歳の時、父とは死別。父と一緒の写真は探して見ましたが、これ1枚だけでした。以後、母に育てられ現在に至っています。
母との写真は、お宮参りの写真のようです。何かにビックリしてるのかなあ~
今から、私の人生と昭和、平成、令和の時代を生きてその日々の生活、あの日あの時何をしてたのか振り返ってみたいと思います。
余談となりますが、ここで1954年(昭和29年)生まれの芸能人、著名人、有名人をあげておきます。
中畑清(プロ野球選手)、ルー大柴(タレント)、松任谷由美(歌手)、ジャキー・チェン(俳優)、三雲孝江(キャスター)、檀ふみ(女優)、安倍晋三(政治家)、古館伊知郎(アナウンサー)等がいらっしゃいます。皆さん元気でご活躍しています。
さて、私が誕生した1954年(昭和29年) 気になる出来事、話題などを見てみましょう。
ビキニで「死の灰」(米国の水爆実験で第5福竜丸の乗組員が被爆)
映画「ゴジラ」誕生。 日本初の怪獣特撮映画で水爆実験反対の意味も込める映画でした。
「ゴジラ」は水爆実験にも耐えたとされる巨大怪獣です。ビキニ環礁の水爆実験によって自分の環境を破壊されたことによって現れ、人間に恨みを持っているかのように、東京の各所を次々に破壊して行きます。最終的には芹沢博士が発明した「オキシジェン デストロイヤー」という兵器で殺されてしまいます。ゴジラ退治に使った兵器が存続すれば核兵器と同じように、いずれ世界に悪用されるようになるだろうと恐れ、博士はゴジラと共に自分の命も絶ってしまいます。
初回の「ゴジラ」作品は、第五福竜丸事件を基に作られたと言われています。
意味がある作品として仕上がっており、日本最初の特撮映画、水爆実験での核を考えさせらた映画でした。白黒の映像は、とてもリアルです。一度、映画をご覧下さい。
1954年3月1日 午前3時42分 アメリカ軍による新型の水爆実験が行われました。その破壊力は、15メガトン。広島に落とされた原爆の約1,000倍と言われています。
その爆心から160km離れた地点で操業していたマグロ漁船が第五福竜丸でした。乗組員23名。
爆発から1時間半ぐらいすると、白い米粒の粉が空から降ってきます。白い粉の正体は放射能に汚染されたサンゴの死骸のかけらでした。これが後に「死の灰」と呼ばれるものです。死の灰を浴びてしばらくすると、乗組員の身体に異変が現れます。乗組員は、頭痛や吐き気を催し髪の毛が大量に抜け始めました。
事件から半年後の1954年9月23日、乗組員であった久保山愛吉さん(39歳)が亡くなりました。久保山さんは、被爆の後遺症に苦しみ続けたそうです。
日本社会は、広島 長崎の原爆投下から10年も経った間に再度 核兵器の恐ろしさを実感しました。
1945年(昭和20年)8月6日 広島への原子爆弾投下
1945年(昭和20年)8月9日 長崎への原子爆弾投下
9年後、アメリカ軍の水爆実験で第五福竜丸の乗組員が被爆。
以後、私が生まれた年から60数年経ちますが、いまだに核兵器廃絶が出来ていません。
2017年7月7日、核兵器禁止条約が国際連合総会で採択され2020年10月に発効に必要な50カ国の批准に達したため2021年1月22日に発効した。米国の「核の傘」の下にある日本は批准していません。核兵器禁止条約の批准は、日本こそ成すべきことであると考えます。もっと活発な議論が必要であると思います。
今、核廃絶をめざし動いている若者グループがあります。
「カクワカ広島」と言います。
私は、メンバーにお会いしたことはありません。
メンバーが国会議員である政策決定者に会って核兵器禁止条約への賛否を今後のあり方の話をすることは意義あることだと思います。
若い力で核廃絶を世界の人々に訴えることこそ大事であると思います。
私が生まれて60数年経ちますが、世界のあちこちで内戦が繰り返され平和な生活がおくれていない国々があります。この事が一番気がかりなことです。
戦争反対! 平和な社会を!
yaruzou55
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